摂理(カルマの法則)の事を「人にした事が自分に返ってくる法則」と考えている人は多いでしょう。

これはその通りです。

ただ、

『他者にしたことは本質的には同様の行為で返ってくるが、それは表面上は違う形で返ってくる』と考えるのが正確と言えるでしょう。

中でも、その出来事に対しイライラした感情を持たされるほどに、過去に自身のした行為が本質的に返ってきていることの証明となっています。

例えば、

空気を読まない自分本位な発言をする人に迷惑をかけられます。
往々にして、迷惑を受ける側は空気を読む姿勢を持つ人であったりします。

ただ、その迷惑に対してイライラすればするほど、その人は”空気を読んでいる事”によって自身が保身をはかっていることに気が付く必要があります。

空気を読むことでも、それが自分本位な理由であれば、結果的に世界へのひずみを産んでいます。
(自身の利益を重視するあまり、人に対し注意すべきタイミングで注意できなくて、相手の過ちを未然に食い止められなかったなど)

その分のひずみを受け取った結果、空気を読まない自分本位な発言をする人を通して、過去の負のカルマが解消されています。

摂理からすると、

・空気を読まない自分本位な発言をする人
・自分本位な理由で空気を読もうとする人

は本質的には同質と判断され、カルマの合致によりその出来事が起こります。

ただ、摂理の上では、自分本位であろうとも世界との調和を取ろうとした方が本質的に報われる傾向はあります。
そのため知性は向上するのですが、その空気を読む力を自身の利益と繋げるほどに、その分のゆがみは人格に現れるでしょう。

一方、空気を読まない自分本位な発言をする人は、利益を考えずにそうしている分、無邪気な分だけ人格にゆがみが現れにくくなっています。

また、これらの

『他者にしたことは本質的には同様の行為で返ってくるが、それは表面上は違う形で返ってくる』

という作用は良い行いにも現れます。

良い行いにもピンからキリまでありますが、2つの例でお伝えいたします。

・人と人の縁繋ぎをしたことによりその二人がビジネスパートナーになり、二人は経済的に成功しました。
仮に、その二人から物的報酬を受け取っていない場合であるほど、摂理は、人の願望を叶えた分、自身の願望を叶えてくれる知恵に出会わせてくれます。
それは分け与えた人の繋がり以上に本質的に価値があるものとなるでしょう。

・人に対して摂理を伝え、その伝えた対象の人物が世界貢献を始め精神が向上しはじめました。
その結果、自分自身には、周囲の人間関係により、以前よりも精神を進化させてくれる立場と知恵が与えられました。
身の回りには自身に足りない知恵や能力を所有している人ばかりになり、その人たちの良い影響を受け、精神的欠点も克服される結果になりました。
(自身が進化の道のりで迷っている時でも、有無を言わさず周囲の人から次のステージへと進むよう後押しをされます)

前者は、他者に対して人のつながりを与え他者の願望を叶えた結果、「自身の願望を叶えてくれる知恵」という形に変換され、本質的に同質であり、もう少し本質的に良い事となって返ってきました。

後者は、他者を精神進化を得るための知恵を与えた結果、「足りない人格や能力があらゆる側面から克服できるような状況」へと変換され、本質的に価値のある事として返ってきました。
その結果、堕落の危険性は小さくなる一方で、本質的に優れた人格や能力を持つにいたっています。

このように良い行為においても同様です。

現在の世であると”他者の願望を叶えてあげるほどに、自身の願望が叶うための物が与えられる”といった事である方が、分かりやすく「良い事が返ってきている」という印象を持たれる傾向があります。

船が欲しい人に船を与えたら、船を何艘も買える鉱山が与えられたといったわらしべ長者のようなものがイメージしやすいです。

しかし、世界にとって本質的に良い行為をするほど、自身の精神的欠点が最短で克服できる状況に置かれますので、現在の世に置いては厳しいとみられるような出来事が起こるでしょう。

ただ、結果的には、船を与えて鉱山を受け取った人物が足元に寄れないほどの本質的財産(価値ある人格)が受取れています。

その人格の恩恵は今世でも受け取れますし、この世を去った後の霊界では、その人格が物的環境や様々な能力として現れるでしょう。

※なぜ、摂理が、

『他者にしたことは本質的には同様の行為で返ってくるが、それは表面上は違う形で返ってくる』

という形式を保っているのかというと、

完全に同様のモノが返ってきてしまうようでは摂理が分かり易すぎて探求の余地が無く、人間の知性が停滞してしまいます。
また、自分のしたことがそのまま返ってくるようでは誰もが摂理を過剰に恐れ、自己愛と保身のままに他者への善行をしてしまうためです。