人格から思念が作られ、思念から行動が作られていきます。

今回は、『人間が放つ思念の価値』についてお伝えいたします。

私たち人間は日頃から様々な思念を出すのですが、その全てが、必ず何らかの結果へと繋がっています。

例えば、誰かに対する純粋な愛の念は、自身の行動を愛のある物へと変え、世界全体にとって良い行動をするよう導いてくれます。
誰かに対する恨みの念は、自身の行動を利己的な物に変え、世界全体にひずみを出すような行動をしてしまうきっかけになります。

さらに、人類は思念によって繋がっていて、「自身の思念は他者にも影響を及ぼす」というのが実体です。

”世界には良い人間など誰もいない”といった思念を持つのであれば、必ず、他の誰かが自身の思念を体現することになります。
この場合では、悪役を作ってしまうということです。

”世界は愛に満ちている”といった思念を持つ人がいれば、必ず、他の誰かがその思念を体現することになります。
この場合では、誰かを愛のある行為へと駆り立てるでしょう。

また、自身と物的には関係が無い人であっても霊的には繋がりがあることも多く、自身の思念はカルマ上接点の強い人間に対し波及していきます。
(カルマ上接点が強い人間とは、主に、無限にある前世で関わりのあった人間や自身と近い精神的課題を持った人間です)

それで、私たち人間は自身の思念が他者に影響した分まで、自身で責任を取ることになっています。

これだけ聴くと、悪い思念を放った責任を取らされるのでは、

「悪い思念を放つ」→「他者に悪い影響を及ぼす」→「その分まで悪い出来事が起こる」→「悪い思念を放つ」→「他者に悪い影響を及ぼす」→「その分まで悪い出来事が起こる」→「悪い思念を放つ」

といった負のサイクルから抜けられないのではないか?と思う方も多いでしょう。

事実はそうではありません。

摂理は人格と相応した思念による悪影響については免除を利かせてくれています。

人格と思念の質というのは必ず相応になっています。

女神のような人格を築き上げた人間であれば、その思念は女神のようなものです。
子供のような人格を築き上げた人間であれば、その思念は子供のようなものです。

そのため、まだ子供のような人格の人間が、子供のような思念を出すことに関しては、他者への悪影響分が負のカルマ(エゴ)にならないよう割り引いてくれています。

簡潔にお伝えすると、摂理というのは、
10の過ちが1の善行で帳消しになるような仕組みということです。

自己愛に満ちた人格の人間が他者への愛のある思念を持ったのであれば、そのギャップ分まで摂理は高く評価してくれます。

聖者の人格を持った人間が他者への愛のある思念を持った場合でも、その思念による影響を評価してくれていて、その良いカルマ(徳)によってさらなる高みに到達できるよう導かれます。

思念の質と行動の質は必ず連動しますので、極力、他者への愛や世界の平和をイメージするような思念を持つようにするのは良いことでしょう。

あらゆる勉強よりも、愛のある思念を維持する方が叡智が得られるようになっています。

世界にとってもっとも良い思念を放つ人間が、もっとも知恵の深い人間です。
この事に例外はありません。

ただ、摂理は様々な尺度によって「世界にとって良い思念」を判断しています。

・世界平和を祈る想いを抱く
・自身にひどい仕打ちをしてきた人間を許す想いを抱く
・パーティーなどでその場が楽しくなるように思念を使う
・世界のためになりそうな仕組みを考えることに思念を使う

などなど、思念を出す状況は様々ありますが
”見た目に愛がありそうか”といったぼやけた基準ではなく、
その人がその立場から世界を良くするのに適切な思念を持っているかを判断されます。

母親にとっては、自身では何もできない赤ん坊の世話に対し考えを巡らせるのは適切な思念でしょう。
しかし、母親が赤ん坊が泣いているのに、それを無視して、世界平和を祈るのであればそれは適切な思念とは言えません。
愛があるとも言えないでしょう。

一方、同じ母親という立場であっても、成人して自立している子供の世話にばかり考えを巡らせるのは適切とは言い難い思念です。
それは、自己愛も入っていて、純粋な愛情ではないでしょう。
この場合では、子供への思念を脇に置き、世界平和を祈る想いを抱くようにした方がまだ良いと言えます。

あくまでも、思念の質というのは状況に応じて決まるということです。

基本的には、”起こった出来事を通して摂理の意図を読み解こうとする思念”が大体において、適切な思念として判断される傾向があります。
これは精神進化にあたって優れた思念です。

起こった出来事に対し、摂理の意図を読み解けるのであれば、愛と感謝の気持ちは自然と湧いてきます。

ただ、摂理の意図を読み解けない内は、他者への愛の念や世界平和を祈る想いを維持することが大切になるでしょう。
徐々にですが、摂理の意図と自身の想いが一致しはじめ、「世界にとって良い思念や行為とは何か」を理解できるように導かれます。