人間は精神進化を遂げるほどに「自身の感情」から解放されていきます。

感情とは周囲の状況に合わせて変化していくものであり、極めて不安定な性質を持っています。
良い気分、悪い気分にしろ、周囲の状況に合わせて感情が振りまわされている内は、まだ、視野の狭さがあると言えるでしょう。
(とはいえ、高度に精神進化を遂げた人であっても、肉体由来の感情とは一生涯付き合い”感情”を行動の指針にすることになりますが)

視野の広さと感情の安定度は比例します。

誰かから陰口を言われてイライラする感情が湧く場合では、その1点に囚われて、その出来事以外の事が見えなくなりがちです。
また、陰口を言う人の事情や自身の精神的欠点が見えてきません。

精神進化を遂げるほどに、周囲の状況によって感情が乱されなくなり、その出来事が生じる理由など理解できるようになっていきます。
人間は自身の感情から解放されるほどに知性が向上します。

それで、人間のカルマと感情には密接な関係があります。

人間は自身の責任を果たしていない分だけ感情の揺らぎとして精神に現れていきます。

例えば、一組の夫婦がいます。

夫はお金を稼ぐのが得意で仕事人間です。
しかし、奥さんはその夫に対し「家庭を顧みない」として、いつも苛立っています。

夫は奥さんに対して「なぜ、俺がいつも責められるんだ。誰のお金で暮らしていってると思ってるんだ!」と、いつも苛立っています。

この場合であれば、夫は奥さんに対して愛情のある言葉を使い、仕事の分の熱量を、奥さんの手伝い・気持ちを理解する事にあてていれば奥さんに対する怒りは少なくなります。
なぜなら、相手に対し責任を果たせているので、その分、自身の感情から解放されているからです。
精神進化上の理由として、夫の方は「仕事依存」という精神的欠点を削るため、奥さんの家事を手伝う必要があるゆえにその奥さんと結婚しているからです。

一方、奥さんの方は、夫に対し愛情のある言葉を使い、夫が働いてくれている事に感謝を伝えねぎらっていれば、夫に対する怒りは少なくなるでしょう。
精神進化上の理由として、奥さんは仕事依存の夫のサポートを通じて、自身もまた仕事依存(社会で評価を得る事への依存)や傲慢さを削るために結婚をしたからです。※これらの結婚をした理由は1例であり、実際は他に無数の理由があります。

そのため、夫に対し献身的に尽くし、誰にも評価されない陰のサポートを喜べるほどに、夫に対する怒りは少なくなり、夫が家庭に目を向け始めるでしょう。奥さんが責任を果たすほど、相手も責任を果たしやすくなるよう摂理が働くからです。

このように、

『精神進化における自身の責任を果たすほどに、自身の感情から解放される』と言えます。

自身の感情が荒ぶっている内は、まだ、何らかの責任を果たしていない部分があるということです。

しかし、人間が持つ責任というのは、身近な相手に対してだけではありません。

むしろ、

「世界全体における責任を果たす」 → 「自然と、身近な相手に対する責任を果たせる」

という流れの方が大切でしょう。

身近な相手に対し責任を果たすのは立派であり、それだけでも自身の感情からの解放は少し見込めますが、世界全体における責任を果たさなければ完全には解放されないでしょう。

例えば、自身が持つお金などを世界全体にとって有効に使えるほどに、

仕事依存だった夫の方であれば、奥さんを手伝うことを好むようになります。
奥さんの方であれば仕事依存である夫をねぎらうのを好むようになるでしょう。

このように、世界のために身を尽くした行動を起こすほどに、自然と、身近な人間に対する責任を果たせるようになります。

身近な人間に対する責任とは、自身の精神的欠点上、もっともやりにくい行動をしていくことで果たせるようになっています。
ですので、身近な人間に対する責任を果たせるというのは、精神的欠点が克服されたことを意味しています。

なお、「精神進化により自身の感情から解放される」というのは、喜びやワクワクといった感情なども同様です。
これらの感情も事実関係を見えなくさせる大きな要因となっています。

特に、喜びの感情が強く湧いた時などは自制し、事実関係を冷静に認識することが大切になるでしょう。

人間を導く高度な霊的存在がもっとも扱いにくいのは「人間を喜ばす出来事」です。
そこで浮かれてしまい高度な霊的存在の導きから自ら外れていってしまう事が多く、そのために、「喜びの出来事」と「喜びの感情から冷静にさせるための出来事」はセットに引き起こされることが多いです。

例えば、会社で昇進して念願の目標が叶って喜んでいたが、後日、別の問題が家族関係で起こった、などの事です。
こうした二つの出来事の組み合わせは誰しも経験しているでしょう。

霊的存在からすると、見守り対象の精神が未開発である場合、喜びの感情は何よりも自制しづらいがゆえに冷静にさせるための苦難も合わせて必要になります。
しかし、喜びを自制し事実関係を客観視できる人間に対しては、余分な苦難を経験させずに済むでしょう。

感情とは自身の生き方を点検するための目安として扱うのが良いです。
また、感情を超えた所に真の幸福が見つかるでしょう。