人間は誰しも自己像(セルフイメージ)を持っていますが、摂理はあらゆる自己像を破り、さらに大きな可能性へと導いてくれます。

今回は、『摂理における自己像の役割』についてお伝えいたします。

例えば、

「自分は初対面の人に対して緊張してしまう消極的な人間だ」

という自己像があれば、摂理はその自己像を破る方向へと導きます。
他者への貢献により徳を積むほど自己像が破られるのが速くなります。

上記の場合では、人前で緊張しなくなり積極性が身につくまでの道筋が目の前に現れていきます。
仕事などで人と接する機会が増えたり、本などから影響を受け積極性が身についてきたりなどです。

足りない資質が養われていくので、往々にして、現在の自己像と真逆な方向にいくことが多いでしょう。

自己像とはその人の人格が投影されていて、人格が変わるにつれて自己像も変化していきます。

また自己像には相応の意味があり、一見悪いように見える自己像も悪いということはありません。

「自分は何の能力も無く取り柄も無い」といった形で、自己像が一見悪い場合では、隠れた傲慢さを削ることに成功しています。

能力コンプレックスというのは、能力そのものを過大評価している状態です。
ですので、能力コンプレックスを持ったままに高い能力を所有してしまうと能力に溺れ傲慢さがぶり返してしまうので、能力の低い自己像と付き合う中で傲慢さを削っている状態です。

こうした悪い自己像は傷の上にできる瘡蓋のようなもので、見かけは不格好なのですが、その実、皮膚(精神)を正常なものに戻すために必要なものです。

傲慢さを治すのと同時に試練の意味で「低い自己像」が与えられていて、その自己像により能力に溺れない自分に一歩近づけるでしょう。
この場合では、能力に溺れない精神の強さを手に入れるほどに、能力を発揮できるように導かれます。

”悪い自己像は傷の上にできる瘡蓋のようなもの”

というのは能力だけに当てはまることではありません。

私は消極的な性格であるという自己像を持っている人は、その下に、「その時点であまり積極的になると人に迷惑をかけてしまう事情」があります。

人により相手への思慮が出来なかったり、他者へ価値観を押し付けがちであったりなど、積極的になりすぎると良くないなりの欠点があります。

ですので、一旦、消極的な人格(自己像)が与えられていて、人への思慮などを学んでいる最中です。

世界への貢献を通して徳を積むほどに、もっとも良い形で過去の自己像から脱却することができます。
また、精神の進化を遂げるペースが上がるほどに自己像が固まる事は無く、次々に、新しい資質を身に着けていくことになるでしょう。