”知識はあればあるほど良い”と考えられる傾向があるのですが、
摂理は誤った知識があればそれを修正するための出来事(苦難)を起こします。

他者への貢献により徳を積むほどに、過去の誤った知識が修正されていくことになります。

そのため、得た知識の質によっては、

「誤った知識があればあるほど
多くの苦難を経る必要が出てくる」

ということが言えるのです。

今回は、

『誤った知識を修正していく摂理による作用』

について解説いたします。

しかし、前もってお伝えしたいのですが、

誤った知識が修正された後には、
誤った知識を始めから持たなかった場合よりも高度な知識が得られることになります。

オセロで黒が沢山並んでいるほどに、それらが白に変わった時に持ち点が増えるのと同じです。

ですので、
”知識を得ることに過剰に臆病になる必要は無い”ということを前提において、この先をお読み頂ければ幸いです。

では、本題に入ります。

例を挙げてお伝えしていくと、始めに、
「謙虚であれば多くの願望を叶えられる」といった少し間違った知識を本などから学ぶとします。

この場合では、
謙虚さは願望を叶えるためのものではないということを摂理はあらゆる出来事を通して教えてくれます。

・謙虚ではないのに願望を叶えている人達と出会う
・謙虚さの真の価値を教えてくれる出来事が引き起こされる

といった形で、当初の、
”謙虚であれば多くの願望を叶えられる”といった知識の穴が、どこにあるかを、出来事によって教えられます。

その中で、
「願望を叶えた人はその成功を維持するために
謙虚に振る舞うようにしている」
「謙虚に振る舞うことで他者の力を借りている」
といった事実が分かるような出来事が引き起こされていきます。

その一方で、

謙虚さの真の価値が見えるような出来事も起こっていきます。

「”自身のこだわりに反した人の意見”に謙虚に従うようにしていたら、自身が目指していた願望は叶わないが、
当初持っていた願望よりも素晴らしい世界を知ることができた」

などがその1例です。

その中で、自身と同じ物の見方をする人の意見に共感するのは謙虚さとは言えず、
自身のこだわりに反した意見を参考にするのが謙虚さであり、精神の視野を広げることができる。
また、表面上の態度を取り繕うだけでは真の謙虚さとは言えない。

など、謙虚さに対してさらに高度な理解ができるように導かれます。

今回の場合であれば、

「謙虚であれば多くの物的願望を叶えることができる」

という大ざっぱで誤った知識から、

・謙虚であると他者の意見により、自身の視野以上のモノを得ることができる

・物的願望が叶うかどうかは謙虚さとはあまり関係無いことも多いが、
その成功を維持するには謙虚にふるまう必要がある
(しかし、それは自身のこだわりを通すために表面的に謙虚に振る舞っていて、真の謙虚さではないということ)

など、謙虚さに対する知識が、あらゆる出来事を通して高度化されました。

人間の未来は誤った見識を修正していく道のりで自然と展開が決まっていきます。

特に、寄付の実践などをしていくと、
今所有している知識を高度化させるための出来事があらゆる分野で引き起こされていきます。

今回の内容は例を上げて具体的にお伝えしたので、少し複雑に思えるかもしれません。

簡潔に理解するのであれば、

小学校と同じように、
算数を習う際に、足し算を終えたらその応用で引き算を学び、
その応用で掛け算を学ぶことになるのと同じだと理解するのが良いでしょう。
すると、最終的には当初の知識であった足し算が全体の中でどのような役割を成すのかが分かります。

例えば、笑顔だけで幸せになれると信じていた場合であれば
笑顔の習慣を身に付けられたら、次は、
笑顔以外には”毅然とした態度で人に接することも必要である”と学ばされ、その部分が学べたら、
”相手への愛により寛容さを持って相手の成長を見守ること”などが必要であると学ばされます。
最終的には、上記のような全体の中で、笑顔がどのような役割を果たすのかを理解できるようになっていきます。

これらのプロセスは小学校の例と同様です。