陽気な気持ちの方が心地良いために、
「ポジティブな気持ちを保たなければいけない」
という思いに囚われがちです。

しかし、摂理とは自信を持った人間を助ける存在ではなく、不安な気持ちを持つ人間を助ける存在と言えます。

人間は自信を持っている時ほどに反省ができず過ちが大きくなります。
一方、不安な気持ちの末に自身の過ちを悟り、他者への感謝を知り、進化の道に行くことが多いのを考えると、そこに摂理の働きが見えるでしょう。

摂理と通じ多くの知恵を得る人は「私は絶対に間違わない」という自信を備えた人間ではなく、
自身の精神的欠点をより多く把握している「まだまだ見習いである」という意識の強い人間です。

・気持ちを無にすることで神に通じることができる
・与えられている物的な恵みに感謝することで神と通じることができる

ということが一般的に言われていて、それは一理あるものの、多くの面において誤った考え方と言えるでしょう。

『周囲の出来事は必ず、自身の精神的欠点の克服のために引き起こされる』

という前提がある以上、
自身の精神的欠点を把握し改善に努める思いこそが摂理に通じるものであり、
最高の助力を得られることになります。

その助力は問題解決のために本質的な知恵が身につくように導かれることで、
行われていくでしょう。

例えば、ダイエットの例で言えば、
ポジティブな心理に拘るのであれば、自身の自己管理力の不足から目を背け、ダイエットで「ただ痩せた姿をイメージすればいい」といった形で奇跡を望むかもしれません。

しかし、自身の精神的欠点である自己管理力の不足に目を向けて改善に努めるのであれば、自然と栄養や運動などに気を使うことになるでしょう。

その結果、本質的に価値のある知恵が得られる方へと当たり前のように導かれます。

自身の精神的欠点から目を背けて、物的な物が与えられたことなどに感謝するなどの行為に依存してしまうと、摂理の意図と自身の意識の乖離が起こってくるでしょう。

そのため、全体の苦難としては大きくなってしまいがちです。

一見、ネガティブにも見える
『起こっている出来事から自身の精神的欠点を把握し、改善に努める』という思いを持つ人は、摂理からするともっとも助力を与えやすい存在と言えます。

不安な気持ちを持つと自身の精神的欠点を把握しやすくなるという点で、実際の所、不安な気持ちは重要な役割を果たしています。

ただ、過剰な不安に関して言えば、それは過剰な自信と同じように過ち(無知)を大きくすることになります。

不安な気持ちを持つのが良いというわけではなく、不安な気持ちの根源を辿り、自身の精神的欠点を見つけられるのが不安な気持ちのありがたさです。

不安な気持ちは自身の精神的欠点を把握するセンサーの中でも優れたモノとして扱うのが良いでしょう。
精神的欠点が把握できたなら、あとは、それを改善するための行動を取るのみです。

人生は精神的欠点を克服する場ですので、必ず、克服するための機会が用意されています。